咄嗟に動くことすら、出来なかった。

ただ、目に入ったのは、大好きなあの人の身体が倒れていく姿で。
必死に揺さぶって、声をかけて、それでも、開かれない瞳。
思い切り、自分に怒鳴ってくれれば良い。

『耳元で喚くな!赤也!!』

そう、いつものように。
俺のジャージが赤くなればなるほど、抱き締めた身体はゆっくりと温度を失くしていく。

わかって、いたのだ。


彼が、二度と動くことはないのだと――――――






.ルール




ゴッ!!


鈍く響いたその音は、室内にいた者全ての思考を停止させた。
一瞬、何が起きたのか判らなかった。
再び構えられた山崎の銃は、確かに赤也に向けられていたはずだ。
しかし、今床に転がっているのはその山崎の銃で、彼の胸倉を掴み挙げていたのは、赤也の方だった。

「ッ、きさ――――」
ガッッ!

「ッ、!!?」

ガッ、ゴツッ


それは、あまりにも一方的だった。
抵抗すら許さない勢いで繰り出される拳に、山崎の顔は見るも無惨に腫れ上がってきている。
無言で拳を振るう赤也の表情は、そのまま男を殴り殺すのではないかと思うほどで。
瞳に浮かんでいるのは、どす黒い殺意。
その迫力に気圧されかけるが、悠長に呆気に取られているわけにもいかない。


「っ仁王、柳ッ!!!!」


「「ッ…!!」」

声を上げるか上げないかのうちに、二人は動いていた。
それぞれが赤也の右腕、左腕を掴み、引き戻す。

「ッ離せよッッ!!!!」
「止めろ赤也。真田の二の舞になる気か?」

「っ…………!!!」

静かに言った幸村の言葉に、赤也は傷ついた表情でこちらを見る。
酷い言葉を放った自覚はあった。
だが、今の赤也はこれくらい言わなければ止められない。
視界の端で、ようやく我に返ったらしい兵士たちが銃を構えているのが見えた。

「座れ、赤也」

「…………っス」
強く言えば、小さく頷いて、赤也は再び真田の横に座り込んだ。
その目は、ぼんやりと動かぬ真田を見つめている。
そこまでを確認し、ようやく柳、仁王も腰を落とす。
とりあえずはほっと息を吐き、幸村は床で伸びている山崎を見た。

「…………どうだ?」
「こりゃダメだ。意識がない」

教壇の近くで密やかに交わされる兵士の会話。
すぐに担架が運ばれ、山崎は室外へ運ばれて行く。

静まり返った室内。
そんな中、一人の兵士が教壇に立った。

「ここからは、担任に代わって俺が話を進める。いいか、余計な真似をしたら――――」

ジャコンッ
小さく、手の内の鉄筒を鳴らした。

「遠慮なく、コイツで頭を吹っ飛ばす」

一瞬で、空気が凍りついた。





 ***





「――――以上が、今回のルールだ」

そう告げた兵士を、皆は固い表情で凝視している。
いつもそう表情が変わらない手塚でさえ、今は僅かに強張った顔を見せている。

「今は――――14:50か…15:00になったら、50音順に名前を呼ぶ。3分毎だ。名を呼ばれたら、直ぐに出て来い!」
言って、言葉を締めくくった。

男が話したルールは、要約すればこんなところだ。

1.制限時間はなし。
2.行動範囲はこの離島の中。但し、この廃校の周囲30mは最後の生徒が校舎を出た5分後に禁止区域となり、もし入り込んだら首輪が爆発する。また、島を出ようとした場合も同様。
3.食料・水は三日分支給される。以降は島の中を探索して見つけること。
4.武器と島の地図、生徒名簿は、食料と共にデイパックに入れて教室を出る直前に渡される。
5.最後に残った1人だけが、優勝者として島から出ることができる。

正直、首輪のことなどこの説明の最中に初めて気がついた。
殆どの人間がそうであったようで、意識した途端、窮屈なそれに猛烈な違和感を感じる。
軽く緩まないかと弄っていれば、「下手に弄ると爆発するぞ」と鋭く言われ、慌てて手を話したのが数人。

押し殺した溜め息を漏らせば、酷く鼻につく鉄錆びの臭い。
帽子のつばを下げてちらりと横を窺えば、その名の通りに《赤》く染まった少年の姿が見える。


切原赤也。


対峙したのは僅か数度。対戦したことなど、草試合のあの一戦のみ。
それでも、その負けん気の強さとどこか生意気さを見せる態度は、どこか自分と通じるものがあった。

つい先程まで凶悪な赤に染まっていた瞳は、今はぼんやりと宙を彷徨っている。
まるで、なにも見えていないような空虚な瞳に、胸の内がざわめいた。
その正体が苛立ちであるということには、もう気付いている。
理不尽なこの現状に対して――――そして、まるで硝子を砕くかの如くあっさりと、目の前で真田の命を奪った男に対しての。

別に、特別仲がいいわけでもなかった。
むしろ、ライバル……有り体に言えば、《敵》だったはずの人間だ。

それでも、同じテニスを通して頂点を目指していた《仲間》だった。

苛々と燻る感情を持て余し、更に目深に帽子を下げた。
その後もごちゃごちゃと《ゲーム》に対する心構えとやらを説く兵士の言葉を聞く気にもならず、早々に寝る体勢に入る。
瞼を閉じる前に、ちらりと横に座るヒトに視線を向けた。
唇をぎゅっと結び、溢れ出す激情を堪えるためか、その拳も硬く握られている。
その手が微かに震えているのは、何も怒りだけが理由ではないだろう。
教壇の兵士を睨みつけている瞳に揺れる、微かな恐怖の色ですら、越前には容易く見て取れる。

コツ…

机の下で軽くその足を蹴飛ばしてやれば、びくりと過敏に身体を震わせ、そろりとこちらを窺うような視線が送られてきた。
そこでようやく、越前の不機嫌を悟ったか、唇だけで「どうした?」と問う。
その目が自分を見たことで多少は溜飲を下げ、同じく口だけで「別に」と返した。
素っ気無い口調とは裏腹に、越前の声にさほど険がないことを察したのだろう、どこか腑に落ちない面持ちで首を捻り、彼は視線を前方に戻した。

――――似合わないって、アンタには。

胸の内で呟いて、小さく息を吐く。
くるくると変わる彼の表情を見ているのは好きだったが、あんな風に苛立ちや憎しみの混じった目は、見たくない。
こんなくだらない《ゲーム》で、彼の表情を曇らせたくはなかった。
たった一つ、変わらない決意があれば、越前はどんなことがあっても《越前リョーマ》でいられる。
今までの生活の中では、それはテニスであり、そして、この異常な状況にあっては―――――

「………………」

ちらりと、再度隣に視線を向ける。
いつの間にか震えの止まっている拳に気付き、口元に少しだけ笑みを乗せた。
政府の思惑になど、嵌ってやる気は毛頭無い。

――――――オレは、オレだ。

試合をしている時のように、ふつふつと胸に湧き上がってきたものは、負けず嫌いな性格が生み出す闘争心。


「1番、葵剣太郎!」


《ゲーム》の開始を告げる声に、越前は瞳を閉じた。







死亡者:無し 残り61名







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