昔から、ボクは大人から「怖いもの知らず」ってレッテルを貼られてた。

例えば、授業終了の15分前にようやく鉛筆を握るテストだったり。
何ゲームも落としてから反撃を始めるテニスだったり。
そんな風にわざとプレッシャーをかけるのが、周りの人の目には不思議に映ったんだろうけど。

けど、プレッシャーがかかったテストも、テニスも、ボクにとって怖いことなんかじゃなかった。
まるで崖っぷちに立っているみたいなスリルを、楽しんでただけ。
だから、別にボクは「怖いもの知らず」なんてものじゃなかった。

当たり前だよね?
怖いものが無い子供なんて、いるわけないもん。

いつも無表情のダビデだって、バネさんが本気で怒ると真っ青になってるし。
あんなに男らしいバネさんだって、実は笑顔のサエさんに勝てた試しがないし。
そんなサエさんですら、「不二の笑顔には負けるなぁ」…って苦笑してたし。

そんな風に言ってたら、一度だけ、「じゃあ剣太郎の怖いものは何?」って聞かれたことがあった。
それまで、ボクは「怖い」って思ったことがなかった。
だけど、きっと、多分、

おじいちゃん、おばあちゃん、父さんに母さん、兄さんたち、オジイ、バネさんやサエさん、樹っちゃんに聡さん、亮ちゃん、ダビデ……

ボクの傍にいてくれる、ボクの大切な人たち。


きっと、皆がいなくなったら、それはすごく「怖い」んだろうな、って。




そう、思ったんだ。






.待




「あ、ダビデ」

聞きなれた声に、天根はきょろきょろと周囲を見る。
こっちこっち!と手を振る姿を認め、彼は足早に後輩の傍へと寄った。
そして、その隣に座る色黒の人物を認め、表情の無いままに呟く。

「誰?」
「聖ルドルフの赤澤さん。部長なんだって」
「ふ−ん…」

それだけ聞くと、天根は早々に会話を打ち切り、先客と同じようにその場に座った。
そこで、ふと思い出したように葵を見る。
「サエさんが、ちゃんと隠れとけって言ってた」
「?隠れてるよ」
「うん。一応、頼まれたから」
きょとんとする葵に、無表情のまま言葉を返す。

天根の言葉を聞き、赤澤は校舎から出てきた時のことを思い出した。
きっと赤澤が声をかけなければ、彼は今でもあそこに座っていただろう。
妥当な忠告だ、と苦笑する。

不意に、天根が鋭い目で背後を見た。

「どうした?」
「誰か、出て来る」

短い応えに、反射的に口を噤んだ。
その言葉通り、大して間を空けずに、校舎から生徒が出てきた。
「あの黒いジャージは―――不動峰か」
「不動峰?」
聞き覚えがないようで、葵も天根も首を傾げる。

「そうか、千葉代表のお前らは知らないだろうな。今年になって台頭してきた連中だ。都大会では、氷帝を降している」
「えっ、氷帝を!?」
流石に、この言葉には目を見張った。
「ああ、底が知れん連中だ。聞いたところじゃ、部長の橘が絶対の信頼を受けてるって話だが…」
どこまで本当なんだか。
そう言って、赤澤は口を閉ざす。


既に、黒のジャージは森の奥に消えていた。





 ***





「8番、樹希彦!」

兵士の声に、派手な赤いジャージが立ち上がった。
知った顔だ。
関東大会で、不二・菊丸と対戦したダブルスの片割れ。
回転無しの球…シンカーを打ち、不二のカウンターを封じていた男だった。
彼は六角のメンバーに視線を向けてやんわり微笑むと、そのまま、教室を出て行く。

随分と仲が良い学校だとは思っていたが、彼らの信頼関係は、こんな状況であっても揺るがないらしい。
――――少しだけ、羨ましいと思った。
気付かれぬよう、越前は周囲に座る青学メンバーに視線を向ける。
正直に言って、全員がこの《ゲーム》に乗らないと言い切る自信はなかった。

特に――――

視界に入れたのは、不二と乾。
この二人は、正直に言って五分五分だ。
乾のデータがどんな結論を出すかは読めないし、不二の考えなど、更に分からない。
ただ――――不二には、裕太がいる。
一時はすれ違っていたが、その間も不二が弟を大切に思っていたことは周知の事実。
それが果たしてどちらに転ぶのか……流石に、そこまでは読みきれない。

 ―――出来れば、疑いたくなんてないんだけど。

それでも、目の前で真田の死を見せられ、この忌々しい《現実》を嫌でも実感させられた。
あんなに簡単に、人は死んでしまうのだ、と。

人を殺すことは、実はとても簡単だ。
構えた銃の引き金をほんの少し引くだけで、手に持った刃物を振り下ろすだけで。
それだけで、人は物言わぬ骸になる。
それを押し留める最後の理性を……自らの最後の砦を壊された時、
人は、簡単にこの《ゲーム》に呑まれてしまうのかもしれない。

「9番、乾貞治!」

機械的に、兵士が名を読み上げた。
直ぐに、乾は立ち上がる。
何も言わずにデイパックを受け取り、いつもと変わらぬ足取りで教室を去った。
理不尽なこの状況をどう思っているのか…
その様子からは、全く窺えない。

普段ならばあっという間に過ぎてしまう3分が、異様に長く感じられた。

「10番、伊武深司!」

「11番、内村京介!」

次々に、生徒たちが教室を出て行く。
この場所を一歩出れば、そこは命の保障が無い戦場なのだ。


「12番、越前リョーマ!」


名を、呼ばれた。
わざとらしく時間をかけ、越前はゆっくりと立ち上がる。
無意識なのか、隣に座る《彼》が不安げに見上げてきた。

 ――――全く、性質が悪いよ、ホント。

苦笑を浮かべ、越前はその頬に手を伸ばす。
「?越―――…」
鋭さを感じさせる目が、見開かれた。

ちゅ、

軽い音を立て、その頬に越前の唇が触れる。
その瞬間、完全無比に硬直した彼を見て、越前は微笑う。
相手の混乱が解けぬ隙に、口早に言葉を告げた。


「Good Luck!桃センパイ」
 (――――どうか、無事で。)

隠し切れぬ本音を、その中に織り交ぜて。
間を置いて我に返った桃城の喚きを背に、越前は戦場への扉を潜った。







死亡者:無し 残り61名







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