「あれ?」


微妙に感じる、違和感。
「どしたの?桜乃」
「う…ん、何だか、変な感じがして……」
キョロキョロと教室を見回し、首を傾げる。

「ふぅーん……って、あれ?リョーマ様は?」

「えっ!?」
朋香に言われ、再度室内を見る。
確かに、彼の席はぽっかりと空いていた。
「ホントだ……どうしたんだろ、リョーマ君」
「まさか、風邪とか!?」
「え?どうなんだろ…部活には出てたのかなぁ?」
首を捻る桜乃に埒が明かないと悟ったか、朋香は矛先を変えた。

「ちょっとー、堀尾ー!!」

自分の席で友人と騒ぐテニス部員の姿を認め、大声で呼ぶ。
「堀尾!聞こえてんでしょ堀尾!早く来なさーい!」
「あー、もう!何なんだよぉ!」
流石に名前を連呼されるのが嫌だったか、渋々と窓際を離れて来る。

「ねぇ今日リョーマ様がいないんだけど」
「越前?ああ、アイツ朝練の時からいなかったぜ」
ケロリと言う言葉に、朋香の眉が吊り上がった。

「何なの!?病気!それとも怪我!!?」

「う、うわわわっ!は、離せって!!」
胸倉を掴まれて揺すられ、慌てて距離をとる。
「理由なんて知らねえって!今日レギュラーの先輩たちも来てなかったから、何かあるんじゃねーの?」
「え?先輩たちも?」
戸惑いがちな桜乃の声に、頷く。
「何か、他の先輩っちも理由は知らないらしいけど。今日は先生も来てなかったから、聞くのも出来なかったしな」

「え?おばあちゃん、来てないの?」


「へ?」
間の抜けた堀尾の声に、桜乃の表情が強張る。
「何か聞いてないの?桜乃」
「うん……今日も、いつも通りに家を出たはずなんだけど……」
「うーん、全国も近いし、こっそりレギュラーだけ練習させてんのか?」
ズリィぞ、越前!と喚く堀尾の声に、何ごとかと視線が向けられる。
「練習?」
「さあ?でも、他にないんじゃない、桜乃のおばーちゃんまでいない理由なんて」
「そう、かなぁ……?」
「そうそう」
軽く笑って、朋香は言う。

「あー!でも、どうせなら私もついて行きたかったぁ!リョーマ様ぁ〜」

「お前なんかがついてったら、うるさくて練習どころじゃなくなっちゃうだろ」
「なぁんですってぇ!!?」
ぎゃいぎゃいと口喧嘩を始める二人。
この二人は、顔をつき合わす度にこれをやっている。
どうにも、互いに相性がよろしくないようだ。

「と、朋ちゃん、落ち着いて……」
「いーえ!こういう奴には一度ガツンとやってやんなきゃわかんないのよ!」
「うるせぇ凶暴女!」
「だ・れ・が凶暴女よ!」
「お前だお前!」

あまりの騒がしさに、教室中の視線が集まった。
「堀尾君も、朋ちゃんも、あんまり騒ぐと先生が……」
そうして、必死に二人を宥めている内に、桜乃は忘れてしまった。


一瞬だけ感じた、言いようの無い不安を。






たり




「越前くん!」

校舎を出た瞬間、聞き覚えのある声がした。
一応は警戒しつつ声の方を向くと、案の定、そこにあるのは見知った顔。
六角の葵と天根・樹、それにルドルフの赤澤。

「……何してんの?」
「…………一応、隠れていたはずなんだが」
呆れを隠そうともしない声音に答えたのは、渋い表情の赤澤だった。
「隠れてたにしちゃ無用心すぎでしょ」
「…………」
鋭い突っ込みに、返す言葉も無い。

「そもそも、コレどんな組み合わせなんスか?」
確かに、六角中が固まっているのは容易に想像が出来たことだが、何故そこに赤澤が混じっているのか。
「剣太郎の面倒を見てくれてたのね」
「…………」
そういえば、彼の出発は葵の次だったか。
……何となく、想像がついた。

現状を本当に分かっているのか、葵は笑顔でこう言った。
「ねえ、越前くんも一緒に待たない?」
「は?」
「だって、次は大石さんでしょ?」

 …………そうだっけ?

正直名簿など全く見ていない。
だが、この出発順は五十音順であるからして、彼の待ち人がかなり先であることは間違いない。
一人で待つよりは、彼らと居た方が都合はいいかもしれない。

「いいよ」
「えっ!ホント?やったぁ!」
素っ気無い応えでも、葵は派手に喜ぶ。
越前の中では六角中=「でっかい子供」という印象で固まっているが、それもあながち間違ってはいまい。
呆れ半分、諦め半分に溜め息を吐く。

「越前」

不意に、赤澤が声をかけてきた。
「来たぞ」
彼の指す方を見れば、丁度校舎から大石が出てくるところ。
彼なら、信用できるだろう。
そう考え、越前は茂みを出る。

「大石センパイ」

「うわぁっ!……って、越前?」
化け物でも見たかのような反応に一瞬顔を顰め、一応「そうっス」と声を返した。
「ハハ……悪い、まさかこんな早く人に会うとは思ってなかったもんでな」
「あっちに、まだいますよ」
「え?乾か?」
「違うッス。六角中とルドルフの赤澤さんが」
「六角と赤澤?」
どんな組み合わせだ、と、小さく聞こえた声。
どうやら、考えることは皆同じらしい。

「あ、大石さん!」
「久しぶりなのね」
「ッス」
彼を連れて茂みに戻れば、のんびりとした六角中の挨拶がかけられた。
「あ、ああ、久しぶり……赤澤も」
「ああ」
こちらは、どうにも疲れ切った表情で苦笑い。
釣られるように、大石の顔にも苦笑が浮かぶ。

「そうだ、赤澤。ウチの乾を知らないか?」
「乾なら、あっちの方に行ったが……」
「っていうか、乾センパイは呼び止めなかったんスか?」
越前の指摘に、六角メンバーの表情が曇る。

「……ごめん、でも、」
「あの物体を片手に歩かれたら、声なんてかけられないのねー……」
「………………」

それぞれに遠い目をする彼らを、一体誰が責められようか。
もっとも、越前としては責めたつもりはなかったのだが。
「あいつ、また……」
青学の二人には、その光景が手に取るように分かる。
その時、どんよりと沈んでいた樹の表情が、急に変わる。
「樹っちゃん?」

「しっ!誰か来たのね」

声を潜め、耳を澄ます。
「次は、氷帝の奴だ」
名簿を確認して、赤澤が言う。
「鳳……あのデカい奴か」
「確か、D1の人ですっけ?」
葵の問いに、一つ頷く。
我が強い氷帝レギュラーの中で、比較的態度が柔らかい男だった。

「出てきた」

天根の声に、思考を引き戻される。
「うわ…でっか……」
「ダビデより大きいのね」
葵たちにしてみれば、近くで見るのは初めてなのだろう。
「バネさんくらいはありそうだよねー」
「……けど、何してるんだ、アイツ」
訝しげな赤澤の言葉通り、彼は姿を見せた途端、奇妙な行動を始めた。
まず、キョロキョロと周囲を窺い、次に小さな声で「跡部さーん?ジローさーん?」と声を出す。
しばらくじっとした後で、溜め息を吐いてしゃがみこむ。
何だか、泣きそうにも見える。

「うう……どうすればいいんだろう…………」

整った顔をくしゃりと歪め、また溜め息。
次いで、「宍戸さん、早く出てこないかな……」と呟く。


「………………」


たっぷりの間を置いて、葵が苦笑いのような表情を浮かべた。
「…………何か、ダビデみたいな人だね」
「?」
その言葉に、天根が首を傾げる。
「でっかい犬みたい」
「ああ、なるほど」
思わず同意する樹。
「……俺、あんな風に見える?」
「うん。バネさんが絡むと、特に」
間髪空けずに即答され、がくりと肩を落とす。

「…………ショッピングに行けなくて、ショッキング」

「25点」
これまた間を空けず、葵の厳しい審査が入る。
下らない会話に辟易したように、赤澤は溜め息を吐いた。
「静かにしろ。また、誰か来たぞ」
「え?」
確かに、校舎からまた一つ人影が出てきた。
その顔には、見覚えがある。
「あれは……忍足?」
「また氷帝か…」
忍足は校舎を一歩出たところで一瞬立ち止まり、何ともいえない表情をした後、うずくまる鳳に近づいていく。

「何しとんねん…鳳」

「え?あっ、忍足さん!」
すみません!と何に対してか分からない謝罪をして、立ち上がる。
その頬は真っ赤になっていた。
「ついでに、そこで覗き見しとる自分らも」
「え?」
趣味悪いで、という声に、びくりと葵が肩を揺らす。
その言葉に、赤澤が立ち上がった。

「悪いな。そんなつもりじゃなかったんだが……」
「あ、聖ルドルフの……」
鳳の呟きに、「部長の赤澤だ」と告げ、茂みから出て行く。
「っちゅうか、他にもおるやろ?帽子が見えとんでー。越前リョーマ」
にやにやと嫌な笑みを浮かべて言う。
カチンときて、越前も立ち上がって睨みつけた。
「あれ?青学の…越前?」
「どーも」
きょとんとした表情の鳳は、鋭い視線を向けられて表情を歪める。

「あ、あのー……えっと、」

何と言うか、強張った表情で。
「ひょっとして……見てた?」
「…………」
答えを言葉には出さず、視線を逸らす。
鳳は、顔を真っ赤にしてまたしゃがみこんだ。

「うっわ、恥ずかしい……!」

まさか人がいたなんて…、と一人呟き、頭を抱えている。
「……言いにくいんだがな」
そんな鳳に、赤澤が声をかける。
一瞬だけ目配せをされ、越前はその意図を汲み取って頷いた。
「その、ここにいたのは、俺たちだけじゃないんだが」

「え?」

ガサガサと音を立てて姿を見せた大石と六角メンバーに、鳳は顔を耳まで染めて絶句した。





 ***





「15番、忍足侑士!」

とうとう、忍足の名が呼ばれた。
知らず、溜め息が零れる。
3分後には、自分もここを出なければならない。
戦場へ、行かなければならないのだ。
気分が沈むのも仕方がない。

「――海堂、大丈夫か?」

不意に掛けられた声に、顔を上げる。
「河村先輩……」
「平気、なわけないよな……」
こんなことになってるんだからな、と、苦笑する。
「大丈夫だよ。人を殺すなんて……誰も、出来るわけない」
「…………そう、ッスよね」

確かに、お世辞にも仲が良いとは言えない学校同士。
それでも、この戦争の無い国に生まれた人間だ。
そう簡単に他人の命を奪えるような者は、いないだろう。
半ば言い聞かすように、そう思う。

「16番、海堂薫!」

名を、呼ばれた。
小さく河村に会釈を残し、席を立つ。
押し付けられた鞄の重さに僅かに渋面を作りつつも、肩に下げる。
教室を出れば、昇降口は直ぐ左手に見えた。
右の通路に視線をやったが、薄暗く、何があるのかは分からなかった。
そのまま、昇降口を潜る。

真っ先に飛び込んできたのは、明るい太陽の光。
眩しさに咄嗟に目を細め、掌で影を作る。
しばらく目を慣らしていると、がさり、と横の茂みが鳴った。

「……誰だ?」

一応、声だけは掛けてみる。
出来れば、青学のメンバーなら良い。
そう祈りつつ視線を動かし、ほ、と息を吐いた。
「悪い、驚かせたか?」
「大石先輩」
どこか決まり悪げな様子で、ガサガサと茂みから出て来る。
「英二先輩、待ってるんスね」
「やっぱわかるか?」
言って、苦笑する。
「他にも、ここで人を待ってる奴らがいるんだ。良かったら、一緒にいないか?」
「誰がいるんスか?」
「六角中と、ルドルフの赤澤、氷帝の忍足と鳳……うちのメンバーだと、越前がいる」
挙げられた名を聞いて、僅かに眉を顰めた。
「あの、乾先輩は?」
「ああ……俺が着いたときには、居なかった」
「そう、ッスか…………」
少しだけ、考え込む。

「……俺、乾先輩を探しに行きます」
「そうか」
すみません、と謝ると、何となくそんな気はしていた、と笑う。

「気をつけろよ、海堂」

「はい」
そう言って、別れた。
遠ざかる背を見送りながら、大石は未だ教室に残る相棒を思う。
きっと、不安だろう。
泣きそうになっているんじゃないか。
そんなことばかりが頭を過ぎる。
ぎゅ、っと、肩に掛けたバッグを支える手に力を込めた。
その中に入っていたもの。
鈍く光る、金属の筒。
兵士が、《当たり》と称した部類に入るもの。

――――銃と呼ばれる、武器。

見つけた瞬間に、眉を顰めてしまった。
そのまま捨てようとしたのを、忍足に止められたのだ。
万一、この《ゲーム》に乗った奴に遭遇した場合、必要になるだろう、と。
撃つ気は無い、と反論すれば、撃たずとも牽制になる、と言い返された。
結局、捨てることは無い。忍足の言うことも最もだ、と皆に諭され、そのまま鞄に入れておくことにしたが、自分にはきっと使えない、と思う。
しかし、ここに集まったメンバーの中で、万一の際に使える武器を持っているのは、自分だけ。


「重い……な」


少しだけ顔を上げ、大石は深く息を吐いた。







死亡者:無し 残り61名







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