「…………むう…」
じいっとこちらを窺う視線。
何かを言いたげなそれを無視しようにも、瞬きもせずに見つめられては、いくら日吉といえど集中など出来やしない。
「…………芥川先輩」
「ん?」
「あの……俺に何か用ですか?」
根負けして振り返ると、睨む、というよりは拗ねた様子で、件の先輩はこちらに視線を送っていた。
「………………ひよ」
「はい」
いい加減、そのひよこみたいな妙な呼び方は止めて欲しいだとか、その恨みがましい視線は何なんだとか、言いたいことは山ほどあったが、それら全てをぐっと堪えてあくまで冷静に返事をする。
そんな彼の心中にも全く気付かず、芥川はむう、と頬を膨らませた。
「…………12cm」
「――――――は?」
ぼそりと呟かれた言葉に、思わず間の抜けた声を上げる。
12……って、何がだ?
彼の言動が突拍子も無いのはいつものことだが、今日はいつもに増して意味がわからない。
掴めない言葉に眉を顰めていると、今度はそっぽを向いてしまった。
「芥川先輩?」
「日吉、引く、俺」
「ああ…………」
その言葉で、ようやく理解する。
172cmマイナス、160cm。
つまり、身長差だ。
「いっつも、歩いてると俺が顔上げてるCー、」
「…まあ、12cmですからね」
「歩幅だって、ぜんぜん違うCー」
「……それは、先輩がいつもぼけーっと歩いてるからで…」
「それに―――――…」
ぐいっ
「え………?」
ちゅ
「キスする時、届かない。」
名残惜しげに唇を掠め、ふわふわとした髪が離れていく。
「ッ…………ア、アンタ何して……!!」
「何って?キ――――」
「そういうことじゃなくて!」
顔を真っ赤に染めたまま、日吉は周囲に視線をやる。
「ここ、どこだと思ってるんですか!学校ですよ!?」
至極もっともな意見にも、慈朗は頬を膨らますだけ。
「だって、したかったC〜」
「少しは我慢して下さい!!!」
「無理」
ぷいっとそっぽを向いて、即答する。
まるで、駄々をこねる子供だ。
はあ…
思わず溜め息が零れるのも、仕方が無いだろう。
気付けば、こうしていつも彼のペースに嵌ってしまっている。
たったひとつ、違うだけ。
それなのに、こうしてやり込められてしまう自分が、酷く情けないような気がする。
もっとも、我の強い氷帝レギュラーの面々でも、芥川にはしょっちゅう振り回されているのだ。
日吉が彼に勝とうと思うこと自体、既に無謀だと言えるだろうが。
――――だが、やられっぱなしなのは悔しいというのもまた事実で。
しばし考え、彼は再び溜め息を吐いた。
ちらりと横目で伺うと、芥川は膨れたままで拗ねたようにこちらを睨んでいる。
そんな彼を見て、少しだけ、悪戯心が湧いた。
片や芥川の方はといえば、結構本気で拗ねてしまっている。
日吉が照れ屋なことは知っているし、超がつくほどにストイックな性質であることも重々承知。
だからといって、可愛い可愛い恋人との触れ合いを我慢できるほど、芥川の気は長く出来ていなかった。
膨れたままに日吉を見ていると、ふと彼の表情が変わった。
呆れたように眉を寄せていたものから、やんわりとした苦笑に。
半ば惚けてその様を見ていたが、あまりに自然な変化に、思考が追いつかない。
「――――ジロー先輩は、今のままで充分可愛いと思いますよ?」
一瞬で、頬が染まる。
普段絶対に口にしない褒め言葉だとか、何度言っても部活中には呼んでくれない名前だとか。
原因は色々あったけど、でも、
「そっかな〜へへへ……」
一番は、滅多に見ないその綺麗な笑顔。
柔らかく微笑んだまま「ええ」と頷き、日吉は一礼して練習へと戻っていった。
彼にしては珍しく、それ以上日吉を引き止めずにその場にしゃがみこむ。
「うへへへ…」
にんまりと表情を崩していた彼がはた、と動きを止めたのは、一頻り照れた後。
「ん?あれ??それって、あんまし嬉しくないような――…」